私は、LEONのよう。
パソコンのモニターを凝視して、必死になってPythonプログラムコードを追う。過去の自分、例えば3年前の自分は、3年後(つまり現在だ)に、へび使いの見習いなっていることを想像できただろうか。いや、できないだろう。当時は、気象予報士の勉学に加えてMOS取得への道を歩み始めた時だった。Excelのマクロコードに関する問題で、たくさんのアルファベットの羅列を見て寒気がするほどだった。
それが今、どうしてプログラムコードを好んでコードを追うようになったのだろうか。自分でも正解が分からない。自分のしている行動に正解などない。もっと一般的に言って、いちいち行動の理由を考えて行動しているひとは、そんなにいないと私は思う。
プログラム言語のひとつ、「Python」の名前の由来は、ニシキヘビのことを言うようだ。だから、Pythonの参考書の表紙には、へびのイラストやシルエットが入っていることが多い。私はへびに対してそんなに拒否感はないので、そういう表紙を見てもゾッとしない。しかし最近になって、ペットのニシキヘビが屋根裏にいた、というニュースを見聞したとき、ニシキヘビの太さや長さをTVで見た時は、さすがにゾッとした。「こ、これがPythonの真の姿か」と思ったのである。
私は、プログラミング言語を、プログラミング言語として学んではいない。ひとつの語学だ、と思っている。そこには、文法があり、構文があり、話したり書いたりする喜びがある。ひとつの言語なのだ。
LEONは、マチルダに銃の使い方を教える。彼が初めてライフルの使い方をマチルダに教えるシーンは、とても、とても印象的なものだと感じる。
私は、へび使いの見習いだ。Pythonを学びたての、見習いだ。まだリストもろくに使えていない。そのような私は、プログラムコードを追うばかりだ。実際にプログラムを作ったことは、あまりない。私は、熟練のへび使いに、LEONでいう「ライフルの扱い方」を習いたいのだろうか。いや、そうではない。
「誰かに教わるよりは、自分ひとりで習得したい」。
私は、孤高なLEONのようだ。孤高だが、いつかマチルダのような存在と出会い、方法を教え、実践を身に付けさせ、そしてともに仕事をする…。そういうようなひとをきっとどこかで求めているのかもしれない。
3年後には、私は何を学んでいるのか。
それは予想できない。
ただ言えるのは、私は「何かのLEONになっている」ということ。