語学日記1

最近になって、古典ギリシャ語を学んでいることについて。

ギリシャ文字自体については、元々物理を学んでいたから事前の知識はある。文法についても、すでにラテン語を15年以上学んでいるから、例えば「格変化」や「名詞に性がある」ということには慣れている。というわけで、あとは古典ギリシャ語独自の文法を身に付ければよい。

しかし、本当に学びたてだ。教材として用いている本の10%ほどしか読み進めていない。ラテン語を身に付けるに何年もかかった。古典ギリシャ語も、身に付けるのに何年もかかるのだろうか? 覚えることは、ラテン語の時のようにたくさんある。覚えなければいけない語尾変化は山ほど。

「ゆっくりやればいいんだ」

石膏の彼は、そう言った。いつもの机の上には、お気に入りのブリキのペンケースと文法書がある。石膏像なんてどこにもない。しかし私が突然の創作で石膏像の彼(名前は、マイオスという)を出したのは、ひとえに、

「君は、いっしょに学ぶ友がいないのだろう?」

そうだ、そういうことだ。ラテン語の時だってそうだ。15年以上学んでいるとはいえ、15年以上付き合っている勉学の友は誰もいない。物理だってそうだ。数学だってそうだ。私は勉学において常に孤独であった。

「socioという動詞を知っているかね?」

知っているさ。ラテン語で「友好関係になる」という動詞だったはず。英語のソーシャルの元になった(とは誰も言わないが、言葉のかたちから多分そうだろうと思う)言葉だ。どうやらマイオスは、私に勉学の友を作れと言っているようだ。切磋琢磨しろと。しかしどうやって勉学の友を作ったら良い? やはり開示するしかないのか。「私は古典ギリシャ語の勉学をしています」と。そして「共に学ぶ友を探しています」とも。そのためのこのブログだ。そのためのツイッターだろう。

使えるものは、どんどん使っていかなければ。

投稿者: lute369

生きている限り、学ぶこと。それが私のすることです。 Dum spiro,disco.

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