遥は、ねぼすけだった。
「測定とは何を意味するのか」。遥は量子力学の本をまた読んでいた。一体私はどこまで「系」に含まれているのかあるいは含まれていないのか考えた。例えば私に向かってボールが飛んできたとする。そのボールは、位置を刻々と変えながら、おおよそ同じ速さでだいたい放物線を描いて私に向かう。私はそのことを認め、そのボールをトスかレシーブしなければならない。ところが私はいつもそのボールのことを「観察」してしまって、トスまたはレシーブができない場合があるのだ。
「…キレイ」
遥は、そのボールの軌跡を見てそう言った。「この軌跡は、もう二度と描かれないのね。悲しくて寂しいけれど、それが理ならば仕方ないわ」。遥はそんなことも言った。私が与える初速と、仰角、方位角で相手のコートのどこかにボールは落ちる。それは、確かに決定論的であると思う。体育館の窓は閉まっていて、だけどボールの運動は空気抵抗を考慮しなければならない。ボールの形状、固さからして空気抵抗は無視できない。しかしそれでも、私がサーブを打ったら相手のコートのほうにボールが飛ぶのは間違いない。飛んできたボールを、ある初速と仰角と方位角で返してやればだいたいどこに落ちるのかわかる。
でも、これがミクロの世界だったら? いろいろと不思議なことが起こりそうだ。飛んできたボールは、いや、ボールが飛んでくることをどうやって分かるのか、まず考えなければいけない。相手のコートからやってくるボールは、体育館の状態ψで記述できるというのだろうか。私もそのψで記述されているとしたら。また、相手がサーブを打つ前と打つ後では、何が言えるだろうか。打つ前は、何も分からない。打った後も、何も分からない? すべては確率、統計的にしか分からないということ?
「私は量子力学についてまだまだのようね」
遥はそんなことをつぶやいて、元の世界に戻った。
「遥、危ない!」
遥の友人がそう叫ぶ。ボールは遥の顔に当たり、遥は大きく仰け反ってその場に倒れた。友人たちが遥の周りに集まる。遥の顔にあざができてしまった。
「また今日も『観察』してたの?」遥は答える。
「ええ。バレーっていろいろと考えられるから」
今日も、遥の観察が始まる。その観察の範囲は、バレーボールから始まり、やがて自分自身、そして体育館、体育館の外へと拡大してゆくものであった。遥の顔には少しのあざがある。しかしそのあざを予測できた者はいるだろうか? 「私」でも予測はできなかった。