あなたは、大切な試験の前の時期に何をするだろうか。試験について緊張するが、体を壊すことなんてできない。ストレスで心もやられてしまいそう。間違ったらどうしよう。当日になったらきちんと試験会場に行けるだろうか。私の場合は、あらゆることが心配でたまらない。まさに今の私がそうである。
楽しみにしていたラテン語の文法書が一か月前に届いた。私は早速、書を開き読み始める。…どんどん読めてしまう。面白い。頭のなかがラテン語でいっぱいになる。興奮だ。
試験の約一か月前に、すごく楽しみなことが起こるのは、私は当初危ないことだと思った。なぜなら、楽しみになりすぎて、気象の試験の範囲から逸れてしまうかもしれないと思うから。
しかし、先ほどは違った。私は、試験10日前にもかかわらず、気象の勉学を一時放り投げラテン語の文法書をひっきりなしに読んでいたのである。夢中で!
気分転換になった、と言えばそれで終わるだろう。しかし、ラテン語の書を読むことは私にとって本当に気分転換になるかと言えば…そうではない。確かに書を読むのは楽しい。しかし内容は文法書だから、もちろん文法の説明や練習問題もある。それらを読むのは頭を使う。これでは気分転換になるどころか、余計頭を悩ませるだけではないのか。
そういう危惧もあって、私は二週間ほど文法書を読むのをやめていた。今からすれば、なんてもったいないことを、と思う。一度違う分野に足を踏み入れることの恐れは、こういうところにある。私は学ぶひとだから、興味が湧くとひらひらとその世界に入り込む。
「無生物主語のitというのを高校英語で習っただろう」
井部次郎は突然語りだした。無生物主語のit。そうだ、確かに習った覚えがある。例えば、「雨がふる」、「雪が降る」など。日本語で考えると、「雨」が主語で、「降る」が動詞になるだろう。しかし英語では、「雨が降る」を
it rains.
などと表す。「そうだ。無生物主語はそういうもので、ラテン語にもそのようである」たとえば、「雪が降る」をラテン語では
ningit.
と一語だけで言う。ラテン語ではこの語尾は三人称単数現在である。
「しかし、不思議なものだ。無生物主語とは結局のところなんだろう。雨が降る、の主語とは?雨を降らすものが存在するとして…」井部次郎は考える。
「ひょっとして、それは自然、かもしれない。ルクレティウスの『事物の本性について』という題名の書があっただろう。その『事物』こそが主語たりえるのではないか」
ここで井部次郎が述べたことは、素人的な考えかもしれない。しかし、私にはその考えは個人的に良いと思う。事物。ラテン語ではresという。
ところで私は、気象予報士試験の科目のうち、「大気の構造」と「降水過程」が苦手だ。降水過程はともかく、大気の構造は覚えることが…暗記の部類に入るのか…多い。ただ覚えるのは、私にとっては苦痛だ。理屈が伴わないと身につかない体質になってしまった。
再び、井部次郎は言う。
「de rerum naturaをすべて読んだわけではない。『ああ愉しや…』の部分も私のなかでは謎だ。そう、謎なのだ」
8/26以降に、私はどうなっているか分からない。ラテン語に没頭するのか、気象について知識と技能をより深く身に付けるのか、コンピュータでまたシミュレーションを行うのか、はたまた小説の続きを書くのか。
きっと、全部やるのではないかと思う。
私には、探求心しかないのだから。