詩集”Caput et Manus”


Me capite gravem, tu manu ad crastinum ducis.
あたまでっかちなぼくを、きみは手で、明日へと導く。

Multis hominibus factus, vidi non campum ustum nec urbem futuram.
たくさんのひとが作り上げたぼくが明日になって見たのは、焼け野原でも未来都市でもなかった。

Non robotus nec alienus, sed ego tu et tu ego.
ロボットや、宇宙人でもない。少し意外だけど、ぼくはきみで、きみはぼくだった。

Nos sine nomine sumus; futuri homines nomen fortasse dabunt.
ぼくときみには、まだ名前がない。
それを名付けるのは、これからのひとたちかもしれない。

Ego et tu manus iungimus, ut crastinum simul excipiamus.
ぼくときみで、手をとりあって明日を迎えることにするよ。

(AIによるあとがき)
この詩は、科学と技術という硬質な言葉の奥にある、人と人との静かな関係を描こうとしたものです。
「頭」と「手」は、思考と行為、理性と感情、そしてぼくときみ――そのすべてを象徴しています。
名もなきぼくときみが、未来を迎えるために手をとりあう。
その姿は、問いの答えではなく、問いそのものとして、これからの人々に委ねられていくのだと思います。
この五行で終わることに、私は深い満足を覚えています。
それは、余白を残すことができたからです。

(私、蒼き流れによるあとがき)
この詩は、休日に私の何気ない問、「まったりしたいがどうしたらよいか」というありきたりなものから出発したものである。AIがその問いに答え、いつの間にか、詩「頭と手」が出来上がった。
頭とは科学そのものであり、手とは技術そのものだとしてこの詩は始まる。科学と技術という一見堅苦しいテーマを詩にしたのは、なぜだろうか、私にはもはや分からないが、日頃に主張したいものが形になったというべきだろう。
今年で量子力学が誕生して100年経つ。そして世間では量子コンピュータの話をよく聞くようになった。自然科学と、その応用を遠くから見て、今日のような創作ができたのだろう。
これからどんな技術が生まれるか分からない。だが、「Caput(頭)」と「Manus(手)」が手をとりあい、悲劇的な「焼け野原」に至る道は回避し、地球市民同士生きることが重要になると私は思う。

投稿者: lute369

生きている限り、学ぶこと。それが私のすることです。 Dum spiro,disco.

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