とある日の机にて

「パルメラは水の巫女だった」

最初の一行というのは重要であることは身に染みているつもりであるが、最近どうもこれだ!という一行が書けない。インパクトに欠けるというか。後に続く文章の質にもよるだろうが、自分自身で読んでいて、「この一行の後を読んでみたい」という気持ちにはなれないのだ。

パルメラ、というのは固有名詞…、ここでは巫女という言葉に繋がっているから、おそらく女性の名前だろう。なるほどパルメラは巫女であって、この文章を読む限り、巫女にも種類があるらしい。「水の」巫女だというから、他にも巫女の種類はあるのだろう。火の巫女、風の巫女などという他の種類の巫女だっているのだろう。しかもこれは過去形ないし完了形で終わっている。ということは「今の」パルメラは、少なくとも水の巫女ではないことをこの文章を書いたひとは言いたいのだ。ここには時間の流れがある。この一行を読むと、これから下に続く文章は、パルメラの一生を述べたものか、または一つの文化社会のなかの「水の巫女」を述べていくものなのかと考えられる。さらに言うと、巫女とは現実で考えられることだが、神に仕える女性で、神事に関わるひとだ。ということはなにかしらの神が存在して、パルメラは処女で、そしてなにかがあってパルメラは「巫女」であることをやめ、現在…まさにいま…に至ると考えて良さそうだ。

そうだ、一番上の「最初の一行」だけで、読者にはこれだけの考察をしてほしいことを私は望んでいる。しかし、「してほしい」というのはあくまで私の希望であって、そんなに深く考えずにすぐ次の段落を読みたくなる読者だっているのかもしれないから、過度の望みはしてもしょうがないと思いもする。この「最初の一行」のあとに、一見して全然想像すらできない文章が続くと、少なくとも私は興味を惹かれる。その段落を読んでいる間、ひたすら本文とパルメラについてのつながりを探したり考えたりすることが楽しいのだ。そして仕舞いには、後に続く話の結末を考える。

かくして、「最初の一行」の解釈だけで、小説は楽しくなり、読み方の幅も増え、頭が柔軟になり、自分の人生をも変えるかもしれない。いろいろ考えを巡らせられるのは、実に楽しいものだ。

そして、こうも考えられる。

「私が私について本を書く時、最初の一行は何にしようか?」

というもの。深く悩むべきことであるゆえに、かなり慎重にならなければならない。

何も考えないで書くことは、私にとっては愚かしいこと。

ひとりの人間として、文章を読むこと・書くことは大切にしたい。

投稿者: lute369

生きている限り、学ぶこと。それが私のすることです。 Dum spiro,disco.

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