思えば、その兆候はあった。クーデターが起きる前に、確かに不穏な空気は漂っていた。
ここで、話は現在に至る。私は、雲塞【レッド・サイクロン】の中に入る前に、しておくべきことがあった。まず、いま直面している問題を明確にすべきだ。何が、何をして、どうなったのか。それを明確にすべきなのだ。いまこそ、私は科学者である。
私は、状況を整理する。まず、【コスモポリタン】という組織があった。そして、クーデターが起こった。同僚の、ナギアとミツヨシが殺された。私は、考えた。
<サブシナリオ>
~ダランベールの背理~
そもそも【コスモポリタン】とは、一体どんな組織だったのか。私は記憶の糸を探っていった。
【コスモポリタン】は、もともとはといえば異常気象の謎を解き明かすための組織だったはずだ。「地球市民」としての当然に思い当たる結論だったはずだ。「協力し合い、地球を救う」これが【コスモポリタン】の目的だったはずだ。それがどうしてこんなことになってしまったのだろう?この組織には、由来があった。先人の導いた、とある方程式がある。ナヴィエと、ストークスが、それぞれ独自に導いた、粘性流体の運動方程式だ。西暦1822年に、ナヴィエは、その方程式に関する論文をフランスアカデミーに提出した。ナヴィエはつり橋理論の第一人者で、土木技術者だった。つり橋自体は歴史が古いが、つり橋が、応用力学の理論として扱われるようになるのは、19世紀の始めの頃からであった。
つり橋は、長い距離を渡るのに最も適したタイプの橋ではあるが、川の流れのなかに橋脚を立てる必要がある。ナヴィエはこれを解決するために、方程式を導いた。しかし当時のフランス科学界は、ナヴィエの論文を突っぱね、拒否した。当時のフランスでは、技術者より数理物理学者のほうが受け入れられていたのだ。19世紀の数理物理学がめざましい発展を遂げた理由は、ナポレオンが学者好きだったためだと言われている。実際、無類の数理物理学者だったフーリエを幕僚として戦地に同行させたくらいだ。結局、後に数理物理学者ストークスが数式を導き、そして粘性流体の理論が築かれていった。
ふたりの名をとった、ナヴィエ・ストークス方程式の答えは、実は、こんにちの数学界での大問題であり、まだ厳密な答えがみつかっていないのだ…。ナヴィエ・ストークス方程式は、外見は非常にシンプルな方程式だ。だが、流体のみに限らず、電気の粒の流れ、さらに株価の変動をも表す、実に応用性のある方程式なのだ。気象学でも、もちろん使われる。空気と水の流れを調べるためだ。この方程式の特徴は、かけ算、が含まれることにある。つまり、かけてかけあわされる式なのだ。
【コスモポリタン】創設にあたって、この方程式を由来にしたのは、「お互いが手を取り合ってかけあう」ことを、つまり、無償の愛を意味することによる。私は、それを何よりも大事なこととした。ヒトは、「迷惑をかける」と言うが、迷惑を「かけあう」のが普通なことであり、だからこそ助け合うことが重要だと思う。
なにか異論があって組織は壊れたのであろうが、私はそうは思わない。というか思えない。しかし、本当に起こった出来事をまず認めよう。
<ダランベールの背理>~終~
<サブシナリオ>
~ビャークネスの循環定理~
なぜクーデターが起きたのだろう?ひとは原因をさぐる前に、結果をきちんと把握しなければならない。そう、「事態の明確化」だ。いま一度、私は結果について熟慮しなければならない。
古代の墓碑銘には、こんなことが書かれている。
「私はかつてあなただった。あなたはいずれ私になるだろう」
ここでの「私」は、埋葬された死者のことであり、「あなた」とは、いまこの文章を読んでいるひと、つまり、生者のことを指す。ナギアとミツヨシには、墓は与えられなかった。どうやら「異端者」とみなしたらしい。私もそのひとりだと言うのに、だ。初めて会った時のナギアとミツヨシはとかく権威的だった。鶏国の政治的な「しきたり」にはあまり関心がない。だから、その態度には特に気にならなかった。
【コスモポリタン】創設時に、ナヴィエ・ストークス方程式が由来に挙げられる。それがまわりまわってこうなったわけだが、ここは静観すべきだ。「いま」の状況を把握しよう。
【コスモポリタン】は、私が提唱し、成り立っていった組織だ。私の片腕だったナギアとミツヨシが殺された。彼らを異端者とみなして殺したのであれば、私も殺されてもかまわなかったはずだ。しかし、「いま」、私は生きている。誰が何をしてこんなことになったのか?「クーデター」とは言うが、その言葉を初めて見たのは、私がとっている新聞の第一面からだった。新聞には、こう書かれてあった。
『重役二名暗殺 【コスモポリタン】崩壊か 迷走する組織、回り続ける破綻、クーデター』
その見出しに驚いた。なぜこんなことが。私はなぜ殺されなかったのか。そう思った。
「迷走する」、「回り続ける破綻」?そんなはずはない。組織は、きわめて順調に機能していたはずだ。
事態が、一人歩きしている。私は考えた。私ひとりをのどなしにして、世間はうるさく、歌っているかのように見えた。メディアは、いつも虚構しか伝えない。
ただ、事実だけを愛した。ただ、私についてくる者が愛おしい。そこには、生と死の『循環』はない。全ての存在意義を、認め、愛するだけだ。私は、真実だけを求めていた。そこには見返りを求めない、確かな「愛」が必要だった。
<ビャークネスの循環定理>~終~
<サブシナリオ>
~ダインズの補償~
なぜナギアとミツヨシが、殺されたのか。いや…。どうして彼らは、殺されねばならなかったのか?私ではなく、なぜ彼らが?世の中には、「埋め合わせねばならないもの」がある。あるひとが抜けたら、別の誰かがやって来る。ここは私がきりあげる。きりあげられない。少なくとも私は、鶏国の二人とはそういう関係でありたいと思った。だから余計に、彼らは何をきりあげられなかったかが気になる。
フィンランドには、ラテン語でニュースを発信する局がある。
ある休みの日に、私は壊れかけのラジオを直し、適当に周波数を定めた。それは、ヌーンティウス、つまり、「お知らせ」の周波数だった。私は耳を澄ませた。
“今日は、ヒトである全てのあなたに良いニュースと悪いニュースがあります”
私は、耳をそばだてた。
“ロシアの数学者ペレルマンが、ポアンカレ予想を解決しました。しかし彼はフィールズ賞授賞式を辞退し、森に去ってしまいました”
西暦2006年のことだった。世界中の数学者が挑んだ最高の問題を解決し、世界一の数学賞を辞退したのだ。
数学は、科学ではない。しかし、科学を語るには、どうしても数学が必要だ。ペレルマンにとって、「解決」という行為は、「埋め合わせねばならないもの」だったのか?だとしたら…。ナギアとミツヨシが殺されたことを「解決」させることはどう補償されるべきだろう?私は、森に去りたい気分だった。ナヴィエ・ストークス方程式は、もう簡単には使えない。
<ダインズの補償>~終~