梅雨前線が北上し梅雨の末期だとされるいま、私の住む街ではみな猛暑で喘いでいる。世界中で記録的な猛暑が続いている。「これだけ暑いんだ、ならばなにかその反動が来るはずだ」。みな、そう思っている。あるいは、いま世界のどこかで”反動”があるのかもしれない。気象をグローバルに考えると、世界は一つで、連続的になっているというのを理解できる。
いま、言葉を思いついた。この言葉はいまは何の意味もない(かもしれないが、この言葉を思いついたゆえにこの記事を書いている。だから意味はあるのだ)。これからこの言葉の意味が明らかになるかもしれない。そんな瞬間は、小説を書いている間などによくみられる。トドクセン・エーイーではなく、エーイー・トドクセンのほうが語呂が良いような気がする。エーイー・トドクセンの定理、などと言うとそれっぽい。
引っ越してから一区切りを経て、Python、解析力学、計算物理学の道を歩んでいる。私の旅はどこまで続くのか。それは死ぬまでわからない。いや、死んでもわからないと思う。それでもひたすら学び取る姿勢は変えない。
ひとつに、私は動画を作ろうとしている。
動画のタイトルを言うと、「もののゆくえ~なぜひとは無限大を考えることができるのか~」というもの。たとえば力学の問題で、私たちは理想化された系を考えている。摩擦のない物体、どこまでも続く一直線、平面。どこまでも小さい質点、~より充分小さい~、のようなものを考える。それは果たしてどこまでそう考え得るのか。人間の脳は能力的に有限だったら「無限」を考えられるのか。または人間の脳は能力的に無限だったら…。など、興味はあらゆるところまで尽きぬ。
最近はファインマン物理学を読んでいている。最初のほう…「力学」だ。ファインマンの言葉に、「物理法則の『近似』」というのがあるが、それはきっと上の「無限」についてひとつの解答を用意することができるかもしれない。
私は所謂「理系」と称される側の人間だが、そんな枠はとっぱらってもっと純粋に疑問を持つべきだと考えている。「無限」や「近似」も、哲学の領域に達しているのでは、ならばいろいろ調べることはありそうだ。しかしそうそう調べずに、まず自分の思ったことを正直に述べていくことから始めたいと思う。それから整理して、ゆっくりやっていけば良いのだ。
すごく密な、そんな人生をおくるために。