Sa Chouchou (7) / 短編小説

「聞こう、シュシュポッセ」

3.湖底の真実-後編

 老人はロッキングチェアを揺らしながら、湖底の静寂に溶けるような声で語り始めました。
「ここファガ・リンクスは、水を祭る湖のなかの村じゃ。水は、いろいろな形態をとり、可能性に溢れている。それゆえに、ヴィタポッセはここで生まれた」
 シュシュポッセの心臓が強く脈打ちます。老人は、まるで古い祈りをそのまま口にするように、伝説を語ります。

命の輝き、太古より流れ、乱れ、ここに辿り着く
あらゆる形をとり、あらゆる力を受け流す水よ
そなたこそヴィタポッセの始祖、命の可能性だ
我らは讃えん これより幾千年もきみは流れゆくことを、
我々を導くことを

 ロッキングチェアが、ぎい…ぎいと揺れるたび、その声は祈りのように響きます。
「命の可能性として生まれたヴィタポッセは、全ての時代、全ての場所で命を育み、命に可能性を与えた。可能性を与えられた命は、あるがままに生き、子孫を残し、文明を作り、そして…神を作った。その神…詳しくは『冥神』こそが、シュシュポッセよ、あなたの知るいまのヴィタポッセじゃ」

 老人の声は、湖底の闇よりも重く沈んでいきます。
「冥神ヴィタポッセは、人間のあらゆるを変えてしまった。命の仕組みを、流れを変えてしまったのだ。心の影につけこみ、可能性を差し出し、命を喰らう。そんなおぞましい冥神…やつは命を持たぬ。ゆえに決して滅びぬ、他の命がある限りな」

 老人は、窓から湖底の村を見渡すように目を細めます。
「リンクスの街は、ずっとその『他の命』を冥神によって奪われ、可能性も奪われたままじゃ。…だが、ファガ・リンクスまではその影響はない。悠久の時が続いたが、ついには冥神は、水さえも…本当のヴィタポッセまで喰らったのだ」
シュシュポッセは震えながら呟きます。

「湖が……渇いたのね」

 そして、老人は、シュシュポッセをまっすぐに見つめます。その瞳は、湖底の闇と光を全て知る者の瞳でした。

「聞こう、シュシュポッセ。あなたは、冥神ヴィタポッセに対峙するつもりか? 神に挑むつもりか?」

 シュシュポッセは、過去を見ている時にみた、「自分と同じ命の光」を思い出しました。彼女は、しばらく黙った後、こう答えたのです。

「―――挑むわ」

 湖底の乾いた風が吹き抜けるなか、シュシュポッセはまっすぐに老人を見つめます。その瞳には、影の王または冥神ヴィタポッセと同じ「可能性の光」が宿っています。しかしその光は、奪うためではなく、守るために燃えていたのです。

「挑むわ。私はヴィタポッセの一部だった。かつては同じだったんだから、同じポッセとして責任を取るまでよ」

 ポッセ。それは古い言葉で、「可能性」を意味しました。彼女は続けます。

「弱みにつけこみ、命を奪うなんてこそ、許せない。もうこれ以上、行なわせない。私は、冥神自身の可能性を――未来の糸を断ち切ってみせる!」

 湖底の空気が、まるで彼女の言葉に反応するようかのように震えました。その宣言は、太古の祈りを逆転させるような、「可能性への反逆」でした。老人は息を深く吐き、震える声で言います。
「…その覚悟、確かに聞いた。冥神ヴィタポッセは、もともとは命を育む存在じゃった。だがいまは命を喰らう影の王…。その一部であった者が、こうして抗おうとしているとは…。シュシュポッセよ、そなたこそ、本来のヴィタポッセが持っていた『可能性』そのものなのかもしれぬ」


 ファガ・リンクスの奥深く。湖が満ちていたころには水に沈んでいた古い神殿がありました。壁には水の模様、床には太古の祈りの刻印、そして中央には、かつて「命の可能性」を象徴した祭壇がありました。シュシュポッセは、ヴィタポッセについて詳しく知ろうと思い、ここに訪れていました。

 しかしいまは、かつての面影はなく、ほぼ全て、紫の影に覆われていました。影は生き物のように蠢き、神殿の空気を濁らせ、近づく者の命を吸い取らんかのよう。シュシュポッセは一歩踏み出し、しかしすぐに足を止めました。これでは近づけない、と思ったのです。

 と、そのときでした。

「娘よ」

神殿の奥から、どこか懐かしく、しかし底知れない声が響きます。シュシュポッセの背筋が凍ります。声は続きます。

「偉大なる我の娘、シュシュポッセよ」

その呼びかけは、優しさと支配が混ざったような、奇妙な響きのよう。

「どうして父のもとから去った? いま一度、我のもとに還りなさい」

そして、シュシュポッセの頭に激痛が走ります。影のざわめき、無数の命の光、自分と他の命、そして影の王の巨大な姿。それらは一気に押し寄せ、彼女の意識を揺さぶります。シュシュポッセは声にならない悲鳴を上げ、その場に倒れそうになりました。

「そなたは我が欠片。我が可能性。我が未来」

 その言葉は、甘き毒のようでした。一方、彼女を追いかけてきた老人は言いました。
「シュシュポッセよ、惑わされるでない! 冥神はあなたを『娘』と呼ぶが…それは己の欠片を取り戻したいだけじゃ。あなたは、あなた自身の意志で歩んでおる」

 甘き毒は続きます。
「父さんは…いつまでもおまえの還りを待っているよ…。おまえには、父さんしか遊び相手はいないんだ…知っているだろう? 『影絵遊び』は楽しかったね…」

 老人は、そんな冥神に言い放ちます。鋭い静かな割り込みでした。
「これはこれは。冥神自らのお出ましか。ヴィタポッセの名は、いまのお前には全く似合わぬ。このシュシュポッセが、必ずやお前を滅するだろう。しかしそれはもう少しあとのこと。いまは…」
老人がそう言いかけると、神殿を満たしていた冥神の声がまるで「糸が断たれた」ように消えます。紫の影が一瞬だけ薄れ、シュシュポッセの激しい頭痛も引いていきます。老人は言います、

「行くのだ、ここはまだ冥神の影が濃すぎる。ガヴェンスへ行け。かの聖水の都は、まだ冥神の影に完全には染まってはおらぬ。ひとの工芸が息づく街じゃ、あなたの糸と響き合うものがあるやもしれぬ」

シュシュポッセはうなづき、ファガ・リンクスを振り返ります。ウテナイの墓、老人の語り、そして冥神の呼び声。全てが、彼女の背中を押していました。

こうしてシュシュポッセは次なる街、ガヴェンスへ向かったのです。

投稿者: lute369

生きている限り、学ぶこと。それが私のすることです。 Dum spiro,disco.

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