「雲に君見む」1-1

一、湾あるふるさと

いまは走らない日本海。

日本海は、隼人をいつも懐かしい思いにさせていた。日本海に揺られている間は、彼にとってかっこうの深慮の時間となった。

日本は海に囲まれている。オホーツク海、太平洋、東シナ海、そして日本海。そのなかで日本海が、隼人の心をつかんで離さなかった。彼にとって日本海は、帰るべき場所なのだ。

ただいま、午後十時十五分。富山駅発日本海X号が到着する。隼人は読みかけの本を手にし、喫茶店を後にした。読んでいたのは、ブライアン・グリーン著の「エレガントな宇宙」だった。彼は大学で物理学を専攻していた。

第二外国語はドイツ語を履修したが、それはいわゆる「通過儀礼」でしかなかった。試験が終われば、習ったことの九割は忘れてしまうほど薄っぺらい知識しか身についていない。

隼人はよく友人に数学についての議論を持ちかけるのが好きだった。しかし彼の友人は、飯がまずくなるからやめてくれと乞うた。

日本海に揺られている間、彼は運命と孤独であることについて考えた。例えば今はシングルベッドに揺られているが、おれはずっと誰とも交わらない平行線のままなのか、おれの初期条件はいつ決まったのかなどと、ほぼ専門的でかつ摩訶不思議な思索がほとんどだった。

北海道函館市の隣町。「上磯町」から「北斗市」へ名前が変わってから数年後。寝台列車「日本海」は廃止になった。それは、故郷へ帰る道の断絶であり、日本海の枯渇を意味していた。

しかし隼人の望郷は相変わらずにいる。富山湾、函館湾をつなぐ日本海は、ずっと彼の心をつかんで離さない。いまは走らない日本海。だけども、隼人の心のなかでは、日本海はいつまでも走っていた。

みんな、元気にしているだろうか?

変わらずに笑顔でいるだろうか?

がたごとと揺られて半日。隼人は、九年ぶりにふるさとへ帰って来た。

隼人は家路についた、宇宙の本をしまい、難しい思考をしまい、おのれを苦しめる考えをしまい、数学談義をしまい、そして、郷愁に身をゆだねた。

・・・風と水の丈夫よ。おかえりなさい。

投稿者: lute369

生きている限り、学ぶこと。それが私のすることです。 Dum spiro,disco.

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