北斗市・函館市は、近年ふしぎな店がオープンしつつあった。隼人は自動車免許更新の帰りに、大規模書店へ寄った。入口にあるカフェでエスプレッソを注文すると、真っすぐに理学系のコーナーへ急いだ。その向かうさまは、まさにエスプレッソだった。理学系の書籍は、ふんだんに棚が設けられ、その多さに隼人は驚いた。ブライアン・グリーンの続刊が置いてあるのを見て、隼人は手を伸ばした。
隼人は仲の良い友人に、数学だけではなく、専攻の物理学の話をするのももちろん好きだった。といっても、タイムマシンやホワイトホールなどといった話はしなかった。彼はそういう話には飛びつかなかった。
「そういう話は興味ないのか?」
「質の悪いSFの産物にしか見えなくてね」と隼人は友人の問いに答える。
「それより」隼人はぎゅっとこぶしを握る。真剣な話になると彼はいつもそうした。
「二十世紀初頭の物理学の目覚ましき発展について話そう」
友人はそこでいつも彼を煙たがった。なんだ、夢のないやつだな、と。
夢か。夢ならあるさ。だけど、それがなにかははっきり分からない。輪郭を帯びていないんだ。
隼人は、まえがきを丁寧に読んだ。購入の際に決め手となるからだ、と彼は友人に主張した。ある時彼は友人にこんな質問をした。
「おまえは本を出した。その本には帯がついているが、さて、そこにはなんて書かれてあると思う?」
「なんだよ、いきなり。まるで出版社の面接で訊かれそうなことだ」
「たしかに」
隼人はこのように時たまユニークな、へんてこな質問をするのが好きだった。だから友人からはよく「いままで会ったことのないタイプ」とか「哲学的なひと」とかよく言われていた。たまに難しい思索に至るのはどうしてだろう、と自身でも考えることがあるようだった。だから先日の日本海でのことだって、急に運命と孤独について考えだすに至ったのかもしれない。隼人は、難しいひとなのだ。
ブライアン・グリーンの次はなにか。次は数学の本だと思って棚から目を放したその時のことだった。書店の照明が妙に気になって天井を見上げた。まばゆい光が点滅するのを感じ、目を一度瞑る。そして目を開き、つぶやいた。一瞬、なにかが見えた。
「白と黒の世界・・・?」
大学初年度の頃に受けた一般教養の講義の際に教材として観た、フランス映画「恐怖の報酬」のなかでの一幕。爆薬運びの末に待っているものは・・・。隼人は家族からの電話を受けるために、講義室から一時的に退出しなければならなかった。だから、そのときの映画のシーンを知らないのだ。それもラストシーンだった。だから彼は「恐怖の報酬」のラストシーンを知らない。ある意味、隼人にとって、「恐怖の報酬」は未完のままずっと心のなかに大切に保管されているのだ。