ナボタスにて

さて、今回の投稿も「novelnove」についてだ。今回はこの作品のことを書こうと思う。

ナボタスの海へ:https://novelnove.com/n/3iheqxpp7

私は、例によって第二パラグラフを担当した。

1.読者としての「ナボタスの海へ」

 まず、一行目にやられた。「ずっと一緒にいたい」。私には個人的にこういうセリフにはずきゅんときてしまう。この時点で私は第一パラグラフの続きを書きたいと思ったし、同時に楽しみたいとも思った。どこか不思議なところがある「彼女」と、なにもできなかった「僕」との物語が始まる。
 現実の時期がちょうど梅雨だったので、いっそう文章に引き込まれた。傘があるのに雨宿りしている彼女は、なにか矛盾のようななにかを秘めている。雨を眺めている彼女は、主人公になにか話す機会はあるのだろうか。
 また別の時間軸では(たぶん、現在だろう)、主人公は「店」に着き、彼女を見いだせない。不安が集まってくる。傘が示唆するものは、主人公と現在の彼女との接点であるのかもしれない。

 どうやら、主人公と彼女は、他にも過去に接点があったらしい。主人公は、彼女にうっすらとした恋心のような、そんな感情を抱いているのかもしれない。彼は、なにもしてあげられなかった。話しかけることもできなかったのだ。ただ、彼女の話を一方的に聞くだけだ。
 「雨粒はどうして堕ちるの?」というセリフには、自然科学的な関心と、あるいは比喩的な意味合いが含まれているのかわからない。その読者の分からなさは、彼にもどうやら同じものを抱かせているようで、彼もうろたえている。
 時間軸は現在になって、店の店主から手紙について聞くことになる。

 封筒の描写が美しいと思った。主人公と彼女をつなぐ、言ってみればコミュニケーションの橋渡しとしての役割を演じている。その役割は、彼に事実を突きつける。悲しいよ、とても。私はそう思った。緊張とともに(私も緊張して読んでいた)、封筒を開ける。それは、過去に何もできなかった者に対しての厳しさ?が表れているように感じる。

 その手紙の内容を見て、目頭が熱くなった。ひらがなで書かれて、句読点もない。しかしその言葉は、主人公に伝える言葉であるかのように感じた。こういう内容の手紙は、私の心を動かす。個人的にとても動かされる。その「個人的」がいいのだ。
 彼女の疑問に答えられなかった主人公。それが進み方を見せるということならば、帰り方とは…? いろいろと考えさせる文章である。

 硝子は窓、薔薇の香りは便箋の匂いだろうか。趣のある手紙の描写と現在の主人公の心持ちがあらわれているように思える。ここで彼は、初めて彼女に対して、行動した。傘を手にし、彼女に対して思いをつぶやく。
 「そうやって、君は自分として生きたかったんだね」。また目頭が熱くなる。読者の私には、冒頭の一行とは違う意味でぐっとくる文章だ。

 彼は、彼女のことを…「愛していたから…」。まるで、浄化の雨のように、「なにもできなかった僕」を、慰めているかのような描写も好きだ。生きるを描く、というのは、反射的に私は水たまりに映った「僕」の姿を思った。彼女がそう生きたかったように、この彼もまた、生きたかったのではないか?

 彼女の言葉を思い出す「僕」。記憶がよみがえっていく。愛しているから、愛していたのに、勇気がなかった…。またもや私の個人的な経験が刺さるようである。
 穢れている、の意味がここで明確になったようなようだ。ナボタスの海、という言葉は、最初、造語であるかのように思った。しかし実際にある海だという。しかし、私としては、どちらでも楽しめる。造語だったら、ファンタジー色がいくらかあるし、実際の海だったら、このノベルがリアリティを増す。

 ふがいなくはないんだよ。ゆっくり、想いを認めることは重要なこと。ラブレターというばかりにはならないかもしれない。しかし、誰かのことを想って文章を書くというのは、とても難しいことだ。ここ数年、私はそういうことをしている(個人的なことであり、作品の感想とは関係ないかもしれないが、この作品は、驚くほど私の心を動かした。その私が感想を書くにあたって、どうしてその動きを抜きに語ることができよう?)。

 まるで自分のことのようだ。逢えないことも、旅に出ようと思う自分も…。終わり方が、またグッとくる。薄紫の傘が、彼女との接点であるような気がして。きっとこの「僕」は、旅にこの傘を持っていくのだろう。晴れの日も雨の日も。笑顔であるときも、病めるときも。

2.執筆者としての「ナボタスの海へ」

 私は第二パラグラフを書いた。どういう思いで書いたのか、いまここで明かそうと思う。

 まず、冒頭の彼女の描写。ここでは、初めから私の実話が織り込まれている。「あの日の君は、僕の心の中で永遠に響いて、輝いている」という一行は、恥ずかしいことだが、現実の話、自分自身(KdV)がいままで好きになった相手のひとたちへの想いである。今は会えなくなってしまったけれど、好きになったことには変わりはない。私の心の中で、あなたたちは確かにいますよ、美しく、生きていますよ、の意。なぜこれを冒頭にもってきたかは、私もわからない。ただ瞬時にこのフレーズが出てきたのだ。
 次の彼女の描写だが、「僕」の年頃を推定し、また、不思議な「彼女」をどう表せばいいか考えた。「僕」は、恋心を抱くには充分成熟しているけれど、まだ早いかもしれない(なにもできなかった少年時代、のような)、そんな風に。そして、「恋心=女性の不思議さへの惹かれ(もっと知りたい、など)」を表すために、できるだけ細かな描写をした。
 そして「穢れ」について。自分の穢れというのは、自分の悪いところ、という風な漠然としたものをさすだけではない。年頃の少年は、異性に対する好意と、目覚め始める性欲を同時に持つ。あるひとは、その生々しい性欲を自分の穢れとするひとがいる(私はこのタイプだった)。また別のひとはそうではないかもしれない。前者の彼らは、そういう性欲というものがどれだけ嫌かを知っているだけに、そういう目で異性を見たくない、という気持ちがある。だから、異性を好きになることは、性欲も同時にやってくること。しかし自身は性欲が嫌だけに、好きだという気持ちも否定してしまう。そういう思いを、表現したかった。年頃の少年が女性の身体を触れられない場合があるのは、たぶん似たような理由によるものだろう(と私は考えている)。
 雨粒が堕ちる、というのは、雨粒が落下する理由を問うているわけではなくて、いわゆる「堕落」の意味合いを含ませた。ここでなぜ「堕ちる」のほうを使ったのか…ということだが、「彼女」自身は「落ちる」の意味で言っているが、「僕」は、彼女に「どうしてみんな穢れるの?」と言われていると受け取ったゆえにうろたえたのだ。まるで、自分の気持ちに(好きだという感情に)否定的な疑問を抱かれたみたいに。

 本当に深い、そして各パラグラフですごく考えることが多かった作品でした。今回も、楽しく、ありのままに参加できて良かったです。ご一緒した皆様には、敬意を表したいです。ありがとうございました!

投稿者: lute369

生きている限り、学ぶこと。それが私のすることです。 Dum spiro,disco.

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